2014年4月24日木曜日

碌山美術館

荻原碌山(おぎわらろくざん/本名 守衛)は明治期の彫刻家で、彼の作品や資料を保存・公開するために、地元の人をはじめとする30万人もの寄付や支援によって、1958年に開館した美術館です。

4月22日は碌山が亡くなった碌山忌ということで、美術館は無料開放されていました。

館内にはいくつかの建物が建っているのですが、その中でも、レンガの外壁、不死鳥の尖塔をもった教会風の碌山館は、安曇野のシンボル的存在となっています。

碌山は、新宿中村屋の創業者で、同郷の先輩でもある相馬愛蔵とその妻黒光(こっこう)と出会ったことで、西洋美術を知り、芸術の道にすすむこととなります。また、彼らの影響からキリスト教に傾倒し、その後洗礼を受けます。

明治から大正にかけての日本におけるキリスト教史もなかなか興味深いので、いずれ詳しく調べてみようと思うのですが、不思議なのは、農家の五男坊であった守衛が、どうやって渡米→渡仏することができたのかということ。
日本での布教を目論む、教会の後ろ盾が強かったのだろうか?

明治34年、守衛22歳のときに洗礼受けて渡米しています。明治37年には渡仏して、ロダンの「考える人」に感銘を受け、それまで学んでいた絵画から彫刻に転身。
帰国後、相馬夫妻と再会し、新宿中村屋の近くにアトリエを構え、黒光への恋慕の気持ちに苦しみながら創作活動を続けますが、30歳という若さでこの世を去ります。そのため、彼の作品はあまりたくさん残されていません。

そんな数少ない作品のなかで、わたしが一番好きなのは、重要文化財に指定されている『女』という作品。短い手足や、少しむっちりした肉付き、いわゆる日本人体型の女性像ですが、よじれた筋肉の隆線が本当に自然で美しい。ひざをつき、うでは後ろ手に固く結んだ状態で天を仰ぐ姿から、神にすがるような哀しみが伝わってきます。
あとで知ったのですが、『女』は、『デスペア』『文覚(もんがく)』とあわせて「恋の三部作」と呼ばれているそうです。
そして『女』の完成2日後に、碌山は血を吐いてこの世を去っています。

LOVE IS ART,
STRUGGLE IS BEAUTY.
碌山

本人が実際に遺した言葉なのかは不明ですが、壁に刻まれたこの言葉が強く心に残りました。

館内には、ほかにもグズベリーハウスというミュージアムショップや、碌山と同年代の芸術家の作品を展示した展示棟があって、どの建物も特徴があっておもしろいです。


また、ほんとうにたくさんの種類の木々や草花が植えてあるので、どの季節に行っても何かしら目を喜ばせてくれると思います。



こんどはお弁当持参で行ってみよう!

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